サンフランシスコ

Jan. 12, 2010

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概要

キリスト教のフランシスコ会の修道士が創設者の聖フランシスコを街の名に付けたのが地名の由来である。漢字では、桑港や旧金山と表記される。桑港は、「サンフランシスコ」を音訳した「桑方西斯哥」(現代中国語普通話ではSāngfāngxīsīgē(サンファンシースーコー)の発音になる)の頭文字「桑」(サン)に、港町である事を示す「港」を加えたものである。この漢字表記は、現地の日系社会でも使われるため、商店や日本語学校などの名称によく見られる。ジャパンタウン(日本人街)にある曹洞宗の寺院「日本山桑港寺(そうこうじ)」はその代表である。一方の旧金山は、1849年に起こったゴールドラッシュにちなんだ名称である(「新金山」はメルボルンを指す)。現地の中国系社会では、桑港と同様に「サンファン」の音を当てはめた三藩が旧金山よりも多用される傾向があり、市当局も中文での名称を三藩市としている。

日本では、特に(航空機での渡航の対象として)「シスコ」の愛称・略称で呼ばれることも多い。アメリカの他地域では頭文字の「SF」や「フリスコ」、または「サンフラン」(San-Fran)との愛称・略称で呼ばれることが多いが、地元とベイエリア周辺では単純に愛情を込めて「the city」と呼ばれることが多い。

ロサンゼルスと共にカリフォルニア経済、金融、工業の中心地として知られる。サンフランシスコ自体の人口は776,733人(2000年国勢調査)だが、対岸のオークランドなどを含めた都市圏(MSA)の人口は4,123,747人にも上り、全米第12位の規模。更に南岸のサンノゼを加えたサンフランシスコ・ベイエリア全体の人口は7,092,596人で広域都市圏(CSA)として全米6番目の規模である。(いずれも2000年国勢調査)それゆえに大規模なダウンタウンが形成されており、近代的なビルが建ち並ぶ。シリコンバレーやカリフォルニア大学バークレー校にも近く、コンピュータ系の企業も多い。

サンフランシスコの気候は地中海性気候に属し、一年中気温の差があまり無く、気候的にも住みやすい都市である。急な坂や深い霧に覆われる場合が多いことでも有名である。都市部から13マイルほど南下すると、サンフランシスコ国際空港がある。

観光地としての評価も非常に高い都市であり、外国人のみならず、アメリカ人の間でも訪れたい都市の上位にランクされている。有名な観光スポットとしてゴールデンゲートブリッジ(金門橋)やフィッシャーマンズワーフ、ツインピークス等が挙げられる。市内を走る伝統あるケーブルカーも人気が高い。

2008年には、グローバリゼーションと世界都市の研究グループおよびネットワーク(GaWC)により、ロサンゼルスやワシントンD.C.などと並ぶ第2級世界都市+に選ばれている。

歴史

もともとは「コスタノ族」(沿岸の人たち)とスペイン人が名づけたインディアン部族オーロネ族の生活圏だった。サンフランシスコは現在のミッション地区にあったヤーバブエナという町が発祥である。1776年にサンディエゴから陸路を北上してきたスペイン探検隊が、天然の良港であったサンフランシスコ湾とゴールデンゲート海峡を「発見」し、この地に住むインディアンたちを「コスタノ族」と名付け、その湾の入口に砦を築き集落を形成した。その後、神父セラはカトリックの伝道所を設けた。1821年のメキシコ独立によってその領土となり、メキシコやアジア貿易の拠点、また捕鯨基地として発展した。1846年、アメリカ合衆国はこの町をメキシコから獲得し、1847年にサンフランシスコと改称した。そして1848年、シエラネバダ山脈で金鉱脈を発見、ゴールドラッシュによって急成長し、多数のインディアン部族が土地を奪われて虐殺され、ヤヒ族などは絶滅させられてしまった。ゴールドラッシュ以前の1848年の人口は800人だったが、ゴールドラッシュの起こった1849年を境に急速に人口が増え、1860年には6万人に至った。その後、港湾都市、物資の集散地として、合衆国西部の商業、行政、文化の中心地となる一方、非常に多様な人種構成と、バーバリー・コースト地区に代表される治安の悪さでも有名になった。

1869年には大陸横断鉄道が開通、その拠点として重要性を持ち、同時にアジアから多くの移民が訪れた。まずは中国人、そして日本人も多く入植し、1891年に全米初の日本人会が結成された。それに伴い、多くの移民街が誕生する。

しかし、1906年4月18日にマグニチュード7.6のサンフランシスコ大地震が市街地を襲った。3日間にわたる火災が発生し、ダウンタウン全域と住宅地域のほとんどが壊滅した。復興の旗印として「フェニックス」を掲げ、新たな都市開発に取り組んでその後急速に復旧した。1914年にはパナマ運河の開通により、拠点性を増大させ、都市飛躍の一歩となった。対岸のオークランドとを結ぶ主要橋梁の建設に乗り出し、1937年には市のシンボルでもあるゴールデンゲートブリッジ(金門橋)が完成、今日では7本の橋がベイエリア各地を結び、またBARTの海底トンネルであるTransbay_Tubeも都市連結の役割を果たしている。

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第二次世界大戦時、サンフランシスコは造船業の中心地となった。カリフォルニア州北部の中心都市として重要な地位を占め、大発展を遂げた。1951年には、サンフランシスコで、日本との講和条約が結ばれた。1960年代頃から主要産業であった製造業に陰りが見え始めるが、代わりに登場したサンノゼ一帯のシリコンバレーの発展により、IT関連企業を輩出、地位を回復し、大規模な近代的ビルの建設がすすんで活況を呈して今日に至る。また、50年代にはビート・ジェネレーション、60年代にはヒッピーの集う地であり、70年代に入り同性愛者(性的少数者)の市民権獲得のための運動がいち早くおこるなど、新しい価値観を生みだす拠点ともなっている。1989年には大地震に再び見舞われ、大きな被害を受けたものの、現在サンフランシスコは全米の大都市の中でも治安に優れ、優れた計画都市としても知られ、常に住みたい都市のトップクラスにエントリーしている。

坂の多い土地柄を背景に、1873年にはケーブルカーが営業を開始し、今日でも市民の重要な足となっていると共に、観光客を惹き付ける魅力の一つにもなっている。

サンフランシスコ近代美術館

Jan. 12, 2010

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サンフランシスコ近代美術館 (San Francisco Museum of Modern Art、通称SFMoMA) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州・サンフランシスコ市にある、近現代美術専門の美術館である。

アメリカ西海岸で初めての20世紀の芸術作品のみを展示する美術館「サンフランシスコ美術館(San Francisco Museum of Art)」として1935年にオープンした。

開館後60年間はシビック・センターの戦没者記念ビルの上階を使用していたが、1975年に「近代美術館」として国際的にも名の通る美術館となった。

1995年には大規模な改修と拡張を行うため、SOMAのヤーバ・ブエナ・ガーデンに隣接した現在の場所に移転。建築家マリオ・ボッタの設計による特徴的な建物になった。この時、ニューヨーク近代美術館(MoMA)と区別するため、「SFMoMA」との愛称の使用を開始した。

収蔵作品にはジャクソン・ポロックやリチャード・ディーベンコーン、パウル・クレー、マルセル・デュシャン、アンセル・アダムスなどの作品がある。

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